移動支援事業の実例。
毎月配布される全日本手をつなぐ育成会の冊子「手をつなぐ」。
文字ばかりで読んでもチンプンカンプンですぐに廃品回収の箱の中にポンと入れてしまってはいませんか?
全部は読まなくても、中には我が子のしょうがいの状態によく似たお子さんの体験談や福祉サービスが載っていることがあります。
そういうモノを上手く参考にしながら、これからの社会自立に向けて考えていきたいものですね。
今回は浦安市の移動支援事業について実例が載っていますので、ちょいと長いですがあなたも読んでみてください。
どうしても支援が必要だった息子
息子はてんかんで自閉傾向のある知的しょうがいのある16歳です。
2歳で発病したものの3歳から中学1年の秋まで発作はなく、脳波の異常も小学校5年まではなかったので、病気としては治ったのかと思っていました。
また、学校でも学習の面ではまったくおよびではない状況でしたが、地域の普通学級で、普通の中に混ざって(紛れて?)、結構それなりにいい感じで成長していたと思います。
ところが、小学校卒業後、父親に暴力を受け、思春期突入の時期でもあり、また発作も起こすようになり、中学時代はどんどん転げ落ちるように変貌していきました。
世の中のすべてが自分の思い通りにいかないと気がすまないとでも言うように、わがまま、こだわり、暴力、なんでもありの反社会的問題児となってしまいました。
学校では体育館の屋根に登ったり、突然人に飛び掛ったり、家ではマンション4階のベランダを乗り越えて落っこちようとしたり、外へ出れば、地下鉄の線路に物を投げ、自分は素っ裸になり放尿するといった状況。
病院にいけば医療器具をなぎ倒す勢いで、結局入院。医師には「知的レベルが低いので、精神科としての治療効果は見込まれず、結局は問題を起こし、警察から病院、そして自宅に戻され、またそのくり返しの末、生涯施設暮らしになるだろう。」と言われる始末。
そんなこんなで、1年前は切実に支援を必要とする状況の子どもでした。
はじまった息子の支援計画
今、息子は来るべき自立のときに向けて、社会とつながって生きていくために、多方面の方々にかかわっていただいて、制度を利用しての支援計画を実行に移しているところです。
二つの相談機関、生活支援スタッフ、療育の専門家、二つの精神科、学校、警察、児童相談所、保健所、そしてもちろん家庭が連携会議をくり返し、支援計画を立て、折々に修正し、実践しているところです。
夢のような息子の毎日
月曜から金曜日、毎朝7時半にスタッフが家に来ます。
ここで母親は出勤のために家を出ます。
スタッフが来る前に、食事、歯磨き、着替えは済ませ、あとは、学校へ行こうという気持ちになること(これがとても大変な作業)だけを残してスタッフに引き継ぎます。
彼とスタッフは8時まで今日の午後の予定とかいろいろな話をしたり、テレビを見たりしながら少しずつ登校気分を盛り上げていきます。
そして8時ちょうどに家を出てスタッフと歩いて養護学校の迎えのバス停まで行きます。
母親とでは学校へ行こうという気持ちになれず、また、バス停までのたったの5分の距離でもそこにたどりつくには至難の業を要するところ、移動支援を使うことで今ではほとんど毎日スムーズに学校に行けています。
大変だったころを思うと夢のようです。
また、月曜から木曜の午後、移動支援で15時にバス停に迎えに行ってもらい、自宅まで送ってもらいます。
このあと、介護給付のほうで2時間ほど自宅で宿題を見てもらったりしてゆっくり過ごします。
そして、金曜の午後は15時にバス停に迎えに行ってもらい、そのまま歩いて社会福祉法人「とも」に移動。
「とも」で身体にしょうがいのある2歳年下の友達と合流し、一緒に外食をして、一緒に市営のお風呂に行き、楽しく過ごして夜9時に自宅に送り届けてもらいます。
お風呂ではもちろんスタッフも一緒に入るので、「お風呂に一人で入れるように」を目指して、体の洗い方、体の拭き方、衣服の着脱とかを教えてもらいながら、かつ友だちとも遊び、広いお風呂で楽しくのんびり。
楽しい週末の土曜日。
いつもよりゆっくり自宅で朝を過ごし、8時半にスタッフに迎えに来てもらいます。
たいてい、午前中は市営プールに行って過ごし、昼食はスーパーマーケットで材料を買い、「とも」でスタッフと一緒に調理し、食べて、後片付けをし、少しゆっくりしたあと、自宅へ歩いて送ってもらいます。
金曜の午後も土曜日も行動援護5時間を超えた分が移動支援ということになります。
これらケアプランにそった利用のほか、バーベキューや市民祭り、スポーツフェア、クリスマスなどのイベントへの参加も移動支援を利用しており、彼の生活は移動支援なしではまったく成り立たないほど必要なものなっています。
そして、行動援護は月間の支給時間が決まっているので、月の半ばでそれを超えたら、あとは月末まで外出のすべては移動支援となり、ちなみに10月の利用時間は毎週のようにイベントがあったので66時間でした。
移動支援開始に向けて
今では、養護学校バス停への送迎はできなかったし、プールでの介助も認められていませんでした。
また、月間の支給量も、生活を支えるまでにはぜんぜん足りませんでした。
今までの制度ではできなかったことも、市の単独事業となれば、道は開けるかもしれない。
そんな思いで、当事者たちは、移動支援についていろいろな要望を出しました。
結果、条件つきではありますが通園通学通勤の送迎もOKとなったし、プールの介助も余暇支援ということでもちろんOK。
また、しょうがいの種類や程度で支給量を決めるのではなく、その人の状況で必要な量を支給するというように、当事者たちの要望はほぼ実現しました。
社会とつながる達成感
今後、母としては、息子には移動支援を使っていろいろな体験を重ね、社会とつながる達成感を味わってもらいたいと思っています。
そして、しょうがいを持っていても一人の社会人として暮らしていけるように願っています。
浦安市移動支援事業というすばらしい制度が始まり、息子の支援計画は格段に良いものとなり、その結果、息子の状態は落ち着きつつあります。
しかし、制度を生かすも殺すも当事者であり支えるスタッフだと思っています。
せっかくの制度をこれからももっと良いものにしていくため当事者としてしっかり見つめていきます。
いかがでしょうか?
悪法といわれるしょうがい者自立支援法もこのお母さんとお子さんにとっては素晴らしい制度なのですね。
それもこれも浦安市が全面的に知的しょうがいを理解し、そのしょうがい者にあった事業展開と支給量を提供しているからに他なりません。
どれだけでも私たちの力で私たちの住む地域は良くなるかもしれませんね。
あなたも重いしょうがいのお子さんを抱えて悩むばかりではなく、様々な関係機関に連携をお願いしてみてください。
道は開けるかもしれませんよ。