鈴蘭日記

自閉症で重度知的障がい者の息子のお話です。

よろしくお願いします。

お年寄りから学ぶ。

f:id:club-dandelion:20170823170814j:plain


ありがた家さんに本を借りて読んでみました。

ある理学療法士さんの本です。

もう10年も前の本ですから、それこそ介護保険もないですし、認知症を「痴呆症」と呼んでいた時代で、お年寄りを一人引き取れば年間1千万が行政からもらえるという何とも有難い時代のお話です。

でも、読んでいると所々「なるほどなあӤä長男たちにも当てはまるゾ」と納得させられる部分がありました。

いくつか上げてみます。



老人ホームにはときどき「慰問」がある。入所者は可哀相な、慰めるべき存在だということなのである。
あるお婆ちゃんは一番前の席に陣取って、さかんに拍手を送っている。
ところが、ホームの玄関まで見送ったあとで、「ありゃ、下手だね。」という。
私は驚いて「あんた、あんなに喜んどったじゃろ?」と言うが、「せっかく来てくれたんじゃから。」と素っ気ない返事だった。
私は、老人ホームに「慰問」に行こうという心優しい人たちに「来るな!」というつもりはない。
だが、「下手でどこにも見せられないけれど老人ホームでなら。」なんて気持ちで来ないほうがいいよと言いたい。
もし来るなら、結構鑑賞眼を持った老人や、痴呆症老人という最も遠慮しない観客たちが、20分でも目を輝かせてその場にいるような芸を見せに来いと言いたいのだ。



本当のまごころが相手に通じるということは、とてもきれいごとではないのだ。
自分の「まごころ」で相手を変えてやろうという、その意図そのものが老人の反発を呼ぶのである。
そこには、「今あるがままのあなたは、本来の人間の姿ではないから、早く人間らしい人間になりなさいよ!」という、自分の人間観、老人観へ相手を誘導し、閉じ込めようとする気持ちが無意識のうちにあり、それが老人の心を開かせないのだ。
一方、そんな意図は持たず、つまり、本来の人間の姿なんて幻想を抱かないで、今あるがままのあなた、つまり、暴言を吐き、物を投げつける老人をそのまま引き受けて、だからこそ半ば本気で怒って喧嘩もし、冷やかし、挑発させするという関わり方が、相手との共感的世界を形作っていくのである。



よく言われていることだが、痴呆の症状はその人にとって近しい関係の人にこそ強く表れる。だから、家族にとってはかなわない。それは、近しい人だからこそ、何かを必死に求めていることの表れなのだが、こんなときには家族という濃厚な関係からいったん離れることが必要なのである。



「面白い著者だなあ。」と思ったのは、リハビリの先生でありながら、「生活に密着した訓練に勝る訓練はない。」と言ってのけているところです。

どんなに高価な器具を使ってもお年寄りにとって生活に反映するリハビリでなければ、お年寄りは動いてくれないのです。

ところが、いざご飯を食べることになると20分掛けながら畳を這ってでも台所にたどり着こうとする、その勇ましさこそ最大のリハビリだと著者は述べています。

また本借りてこよーっと。。。å