駅伝裏話。
今回の駅伝大会には初めて長男の後輩君が出場しました。
地元の中学の特殊学級にいる子です。
身長は165センチの私を優に超え、骨格も大人以上でスタミナ十分といったところです。
ところが、うちの長男のように一日のスケジュールの中にマラソンを組み込んでしまって、走らないと次のスケジュールに行けないようになってる子と違い、体育の授業以外走ったことのない少年を出場させるには大変苦慮しました。
養護学校の運動会を一度でいいから見に行ってみてください。
たったの100Mを走らせるのに、先生方は大変なご苦労をされています。
事前に何度も練習をしますが、当日になって走ってくれるかどうかは本人の気持ち次第です。
先生は一緒について歩いたり、ゴール前で待ち構えて大声で名前を呼ぶなどして必死で走らせようとします。
それぐらい知的しょうがい児を走らせることは困難なのです。
彼らにとって走ることは全く意味のないことなのですから。。。
ありがた家チームで合同練習をした際、後輩君は勢い良く飛び出したのですが、200Mも走るとすぐに歩き出しました。
私が自転車で伴走しましたが、どんなに「後輩君!走ります」と声を掛けても、オウム返しになるばかりで走ってはくれません。
急遽、お母さんを選手にし、後輩君は伴走して走れるところまで走る作戦にしました。
本番ではお母さんが気を利かせて、後輩君は学校の体操服を着てやってきました。
折りしも、同じ中学の陸上部やハンドボール部の子たちも選手にエントリーしていました。
大会本部にはいくつもテントが張り巡らされ、進入禁止のコーンが並び、地面にはコースを示した色テープが貼られています。
そんな雰囲気が後輩君のやる気を駆り立てたのでしょうか
ありがた家の4番手でお母さんが襷を受け取ると、後輩君も懸命に走り出しました。
300Mほど過ぎた地点で私が待ち構えます。
案の定後輩君が歩き出したので、「もういいよオバチャンとテントに帰ろう。」と制止しましたが、それを振り切って後輩君はまた走り出しました。
すぐに私は理事長に連絡。
しばらく様子を見ようということになりました。
次のコーナーでは、うちの旦那が待機します。
小学生と一般とでコースが分かれる分岐点で後輩君が混乱しないようにするためです。
お母さんの頑張りもあって、後輩君もひたすら追いかけます。
折り返し点では、チョンボしてコースを端折ってしまいましたが、それでも後輩君は軽快に走り抜けていきました。
最後のコーナーは体育館裏をグルリと回るコースの中でも一番きついところです。
今度はありがた家のスタッフが待ち構え、後輩君に随走します。
見事お母さんと共にゴールし、5番手に襷を渡したのでした。
知的しょうがい児たちには私たちの頭では計り知れない秘めた力があります。
そうした力が発揮された時、私たちは自然に感動の涙を流します。
一体どこがゴールなのか全くわからないまま走るのは、私たちが目隠しをしたまま過ごすことと同じでしょう。
そんな過酷な条件の中、ありがた家の3人のしょうがい児たちはよくぞ走ってくれました。
誰もマスコミは取り上げてはくれないけれど、みんなの作戦と、応援に来てくれたありがた家の利用者さんたちと、何より本人の頑張りがあったことをここに記しておきます。
追伸:お母さんは「来年はもういやだ」と言ってます。
来年こそは後輩君を正選手にと私たちは考えているのですが、お母さん以外の伴走者で果たして後輩君は走ってくれるでしょうか?