家では見えないこと
息子のクラスには三人三様のめざまし時計が置いてありました。
わざわざ先生がその子にあった時計を用意してくださったようです。
「ありがとう」、「わかりました」、「おしえてください」といったコミュニケーションカードも備えてありました。
昨日は整形外科健診があったそうで、ズボンの裾を膝上まで上げなくてはいけなかったらしく、息子はよくわかってなくて初めて「おしえてください」カードを使ったそうです。
へえ~と感心しました。
カードは何十枚もあるわけではなく、使いやすい言語だけいくつか揃えてありました。
たくさんあっても使いきれないし、逆に混乱しますから、最小限必要なものだけという配慮も素敵ですよね。
他に「○」と「×」の札も置いてありました。
作業のある日は作業着を着ますが、1時間目は軽運動なのでまずは体操服に着替えるのです。
ところが、昨日は一人の子がいきなり作業着に着替えてしまいそしたら他の2人も真似て作業着に着替えたそうです。
でも、そうしたクラスのエピソードも今まで教えてはもらえなかったのでとても嬉しく感じました。
担任の先生が受け持っていない授業も、担当の先生から聞いて把握しておられるようでした。
こうしたことも当たり前なのかもしれませんが、今まで不十分でしたので去年までは少し不思議でした。
息子は家では私や旦那の介護士のようにテキパキ動いてくれますが、学校ではどうしても友だちより一歩も二歩も遅く動いたり、ひっつき虫のようにくっついて友だちへの依存度が高くなります。
私としてはとても歯がゆい思いなのですが、これなども・・・
学校では毎日変化に富んでいてどう動いていいのかわからないのだろう。一度わかってしまえば良く動いている。例えば給食の配膳などはすでに頭に入っていて、人の助けを制するくらい積極的に動いている。
とのことでした。
確かに家でのことは毎日同じことの繰り返しで朝から晩までわかっているから、お茶碗洗いや洗濯機から洗濯物を出したり、片付け物を率先してやったりと動けるのでしょうね。
学校でも自分から動ける場面がドンドン出てくるといいなあと思いました。
いよいよ最終学年ですが、とても楽しみな1年になりそうです。